牡丹の花言葉1:王者の風格/風格のある振る舞い
牡丹はシフォンのドレスのような華やかで豪華な佇まいから、別名「百花の王」とも呼ばれています。
その呼び名の歴史は古く、原産国である中国がまだ隋や唐と呼ばれていた時代まで遡ります。
当時を示す歴史書に牡丹は「木芍薬」という名前で登場します。
元々牡丹は生薬として用いられていましたが、盛唐時代以降には鑑賞用として愛でられるようになった事が綴られています。
小野妹子が会いに行った隋の最高権力者・煬帝をはじめ、数々の権力者に愛された牡丹は、「花の王」と称されて位の高い人々から愛されていました。
それを示すエピソードとして、牡丹を国花としていたいう話が残っているほどです。
こういった背景から牡丹には「王者の風格」という花言葉が付けられました。
「風格のある振る舞い」はどこから来たものなのでしょうか。
それは日本での牡丹の歴史を紐解くと見えてきます。
牡丹が日本へ伝わったのは奈良時代、最初は生薬として用いられていました。
時代と共に日本でも鑑賞用としても楽しまれるようになり、平安の頃になると貴族の家紋に使われるようになりました。
特に武家の時代では、徳川の家紋として用いられていた葵、天皇家の象徴である菊、豊臣秀吉の代名詞である桐の紋の3種類の使用が憚られていた為、牡丹の花は多くの武家の家紋に採用されました。
その中には、東北を治めていた伊達氏や徳川家に嫁いだ篤姫の実家である島津氏などが挙げられます。
またこの頃の日本では牡丹は庶民の手が届くものではなく、高貴な身分の者にのみ鑑賞を許されたことから、「風格のある花」として知られるようになり、現在の「風格のある振る舞い」という花言葉に繋がります。